Antwerpen&Gent

<光と影>

アントワープは私の中ではおしゃれでカッコイイ街だ。やわらかさと美しさの加わるパリとも違う、格式の高いロンドンとも違う、明るい希望に満ちたニューヨークとも違う、アントワープを思う時、なぜかこの、世界に名だたる3都市が頭の中にふっとよぎってしまう。私の中にはどこか共通点があるのだ。
流行の先端を行く街。でも人を寄せ付けないような高い場所にその街はない。若者の活気に満ち溢れ、なんでも受け入れてくれそうな開放的な暖かさを感じる街だ。自分で何かを探し、自分の興味の待てそうなものがこの場所なら見つかりそうな、そんなやわらかな刺激にあふれている。北海に注ぐスヘルデ川岸にあるアントワープ。古くから港町として栄えてきたアントワープ。
その開放的な風土が人の心をそんな気持ちにさせるのだろうか?
この街でいろいろなことを学べたら自分の生涯のなかでその影響力はとても大きな物になっただろうな。。。

アントワープには有名なノートルダム大聖堂という教会がある。この教会の存在を知ったのは物心ついて間もなくであった。
幼い頃に一度はみたであろう有名な<フランダースの犬>。
ネロ少年が最後に息を引き取った場所、それがここ、アントワープのノートルダム大聖堂である。
大聖堂の前にはネロ少年の記念碑がたち、傍にはパトラッシュがここへやってくると休憩に飲んだといわれる水を飲む場所などがあり
観光化されているようだ。ガイドさんからの説明があると言う事はきっと問いかけてくる方々が多いのだろう。

ネロが見たくて見たくてたまらなかったルーベンスが描いたキリストの絵。
私の幼い頃の記憶で最も印象的だった場面はネロが見たくてたまらなかったこの絵を見ることが出来た後、その絵の周りには可愛い天使があらわれ彼とパトラッシュを天へ導いていくという、美しく切ない終わりの最終場面だ。しかしこの時からずっと私の中には肝心なネロの見た絵の印象がまったくなかった。
今回の旅ではこの肝心な最終場面のルーベンスの生絵を見れるとあって、とても楽しみにしていた。

私は大聖堂へ入り大きな絵の前に立っていた。そこに描かれた世界はまるで生きているかのような、人間より人間らしいキリストがいらして、しかも強烈な場面のなかに彼は存在した。
これがルーベンス絵画の4大傑作と呼ばれる作品なのだ。小さなネロ少年を魅了しつづけて止まなかった絵なのだ。

<光と影>の陰影が実に素晴らしかった。この描写をイタリアで学び取ったルーベンスは自分の絵の世界を確立した。
人々の今にも動き出しそうな肉体が私の頭に焼き付いた。


中世の時代に最も近いのがここゲントではなかったかと思う。それは帰国してから結果論としていえることであり、私は行きづりの1観光客に過ぎない。ただの個人的意見だ。

あまり期待はしていなかった場所が一番印象に強く残ることになった。下調べもしなかったしゲントと言う言葉の響きも初めてであった。
パンフレットに載る日程表で初めてその場所を知った。この場所と前後して何人かの方々が体調を崩された。
そこには我がオットも含まれるのだけれど、バスに残ろうかどうしようか迷った末、観光する事を決めた場所。それをきっかけに体調を持ちなおした場所。そんな思い出も出来たから、尚更私の心に強く残る思い出の地になったのかも知れない。

私のイメージする一番中世らしい雰囲気を持った場所のように思う。ブルージュのようにへんに人がごみごみしていないところも気に入った。
歩いても歩いても続く石畳の道。馬のひづめと供にワンセットの、人を乗せて行き交う馬車。運河沿いに空きなくたちつづける中世の時代のレンガ作りの建物。長い歴史の末、修復作業をおこないつつ、まだ歴史が生きつづける街だ。
ゲントという少し重い言葉の響きは長くこの街に佇む古びた建物の雰囲気にもよく合っている。

又、この街が所有するにふさわしい、又ここにもフランドル絵画の最高傑作が納められている場所がある。
<聖バーフ教会>に納められたヤン・ファン・アイクの<神秘の小羊>がそれだ。
この絵を描いたヤンと言う人物に対する興味も尽きないし、あまりに古い絵の持つ魅力にもはまってしまった。
400年以上前のアンティーク絵画。色彩、物の形、描写。
ルーベンスの画風とはまったく違ったステンドグラスを見るような敬虔な世界。心を研ぎ澄まして向かい合わなければいけないような
重い世界だ。中心に描かれた小羊はキリスト様ということであった。この絵の中の彼をどう捕らえたら良いのだろうか?
嬉しいのだろうか?悲しいのだろうか?はたまた何も考えずにそこに存在しているのだろうか?なぜ小さな小羊に?

ここでもまた当時のヨーロッパ社会の教会の持つ権力を実感する事になった。その時代の最高の画家が最高の絵を描く。
絵が収められた場所は何百年経っても変わらずに、見ようとする者に足を向けさせる。しかもそれらは今、世界の財産だ。


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